ヒットソングについて考えた

こういう活動をしているとよく言われる。


「1曲でいいから、ヒットソングを作らなきゃね」と。


そうだ、1曲ヒットソングを作ると作らないでは世界はまるで違う。


その通りである。



ヒットソングについて考えた。




ふと、思った。




って言うか、じゃあ今ある自分の曲は一体なんだと。




何万枚も売れていないからヒットソングではない。それは確かかも知れない。


でも各々の曲に対して好きだと言ってくれる人がいるわけだ。


それはその人にとってのヒットソングなのではないか。



要はそういう人を増やせばいいのではないか。




既にヒットソングはここにあるのではないか。




僕はヒットソングを作りたくて歌を歌っているわけではない。


かと言って、自分の曲が売れないだなんてこれっぽっちも思っていない。


自分が納得しているから世に出すわけだし、少なくとも自分自身において、これはヒットソングなのだ!





いや、僕だけじゃなく、ミュージシャンたるものみんなそう思っているはずだ。


そうでなければ、さっさと音楽辞めて就職しているだろう。





それで、前向きに考えてみた。




もしかして



音楽活動とは、自分の曲がヒットソングであることを皆に教える活動なのではないだろうか。



これって、どこの会社にも通ずることじゃないかなぁ。


自社の商品がいいってことを皆に教える(営業する)ことが仕事なわけである。


販売員たるもの、自社の製品が100%良いと思っていないと売れるはずがない。


政治家たるもの、自分の信念が100%正しいと思っていないと国は動かせないのだ。




いや、もちろん、もっともっと皆に喜ばれる曲を追求しますよ。


だけど「ヒットソング」を作ろうって思って活動するのは何か本末転倒な気がするんだよなぁ。


それはメジャーのレコード会社に所属している人たちがやればいいんじゃないかなぁ。





ぶれない気持ちで音楽活動を展開したい。




そう思う、貴臣18歳の冬だった。