ボランティアについて想うこと

最近、「ボランティア」という言葉に違和感を感じる。だから最近は便宜上使う以外に「ボランティア」とは言わない。



時代は変わったと思う。

この深刻な不況下において、若者が無償でボランティア活動をすることは非常に難しい。最近ではボランティアの世界にも高齢化が進んでいるという。



気がつけば今までに130箇所以上の病院や福祉施設でボランティアと呼ばれるライブを行っている。つまりノーギャラである。たまにご厚意でいただけることもあるが、こちらから「幾らください」なんて言わないようにしている。


別にいいのだ。ノーギャラでも構わない。入院患者の方やおじいちゃんおばあちゃん、知的・身体障がいを持つ人たちがものすごく楽しそうな顔をしたり、涙を流している姿を見ると、この上なく嬉しくなる。他の場所で歌っても、こんな気持ちにはなれない。歌を歌える今日が、とても素晴らしい日であることを知る。


社会貢献というのは、やっている人のモチベーションを上げるということを聞いたことがある。
まさにそれだと思う。

笑顔を作るのは笑顔だ。


こんな僕の歌が少しでも、今日1日だけでもあの人の役に立ったんだなぁと思うとじーんと来る。




じゃぁ、何で活動費を稼いでいるのか。よく聞かれるから記しておこう。

主にオリジナルグッズの販売である。僕の場合はCDやTシャツやストラップ。

入居者の方や職員の方に、「歌を聴いて、気に入ってくれたら買ってください」とご案内している。当然ながら押し売りなどはしないし、風紀上販売が不可なところでは売らない。だからと言って、演奏に手を抜くことはない。


うん、ボランティアというより、NPO法人だなぁと思う。我らがこころざし音楽工房は株式会社だけど^−^;;


他の収入源は最近多く呼ばれるようになった各種イベント。

こちらは営利のイベントであれば、ちゃんと出演料の交渉をする。さすがにここまでノーギャラというわけにはいかない。




そもそも我々「エンターテイメント」で活動をするボランティア集団は、日本型の無償ボランティアという形ではなく世界標準である「有償ボランティア」であるべきだと考える。活動費を稼ぐためにはショーのクオリティを上げねばならない。そうでなければ外の世界のエンターテイメントと格差の大きい自己満足的な催しで終わってしまうからだ。まさにこれが「ボランティアの高齢化」を招いてるいる最大の理由だと思う。この不況下の中でNPO的な営利要素を踏まえ活動費を稼ぐ手段が無い限り、若者がボランティアを「継続」することは難しいのではないだろうか。
ぜひこちらを読んでいただきたい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E5%84%9F%E3%83%9C%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2

すなわち我々が事前の準備により演出のクオリティを高めて行くことは、ボランティアを受ける側、聴衆側に必ず良い結果になると確信している。自分が入院患者だったらと考えると・・・どうだろう。私は歌でご飯を食べながら活動をしている以上、努力を重ねた上で最良の音楽を皆さんにお届けしたいと考える。ボランティアだから「練習代わりに人前で歌わせてもらおう」などと決して思っていない。




もちろん、プロだろうと何だろうと「役に立つために歌う」という気持ちが1番大事であって、そのような気持ちがあるのなら上記のような議論があてはまらないことも理解している。






まぁ、今日はいろいろあり「ボランティア」について深く考えた。


時代は変わっている。刻一刻と。