最近新聞のことやら何やらでフツーのブロギングをしていなかったように思う。
そうだ、バトンを回そう!!
いくつかバトンが回って来てたんだった。
相当放置中・・・。とりあえず「いとぅ」ゴメンね。サークルの後輩から回って来たバトンに着手してみます。
ってか、この「バトン」って誰が考えたんだろう。
チェーンメールみたいだよね、程の良い感じの。
・・・。
「回す」系って不幸の手紙に始まり、今までロクなものなかったよね??
なんだか、愉快犯の思惑通りに動いているようで抵抗あり。
まあ、書いてみっか。(笑)
●質問1:小・中・高の中で、一番思い出深い時期は?
高2〜高3
毎朝スクールバスに揺られて山の上の学校に通う自分が、まるで護送車で刑務所に送られていく囚人のように思えていました。「ああ、また同じ朝が来て、今日も同じ1日をおれは過ごすのか」って、そんなことばかり考えていました。
絵に描いたような思春期っぷり!!
相当肉体的にも精神的にも苦しい時期だったんですね、今思えば。
長崎の中のわずかな地域が僕のライフステージ。
その世界から飛び出したくて飛び出したくてたまりませんでした。
でも、その分あの頃の仲間というのは繋がりが強固。地元の仲間ってのもあるけどね、戦友のようにも思えます。
あれ、このバトンってそんなダークなのはいらない??(笑)
●質問2:1番お世話になった先生は、いつのときの先生ですか?
たくさんいるなぁ、恩師は。
小3の時の冨野先生(男性)が「友達の輪」っていうのをすごい大事にしていて、あの年に僕は人として基本である「人のことを思いやる」ということを初めて学びました。だから忘れられない先生。
中1の時の福井先生(女性)と中3の時の木村先生(キムゴン)(女性)は兄弟共に担任になってもらって、貴臣貴臣って可愛がってもらって大好きだったし、高2のときの黒崎先生(女性)も目線の高さがすごい近い先生だったから好きでした。
しかし僕は何故か女性の担任の先生が多かった。
高2のとき、友達が一斉にタバコで停学くらった次の日、僕はなんだか学校や人生や大人になることがとてもバカらしくなって、学校にのんびりと遅刻して行ったら、体育館で緊急学年集会やっていたから僕は教室で文章を書き殴っていました。(あの頃の僕は文章を書くことで自分自身のバランスを保っていました。)
そのときに黒崎先生が突然教室に入って来たので、てっきり怒られるのかと思ったら、親身になって無力な僕の思いを聞いてくれました。何が解決したわけでもなかったけど、とりあえず学校に来て前向きに頑張ろうと思えたんです。救われたんだなぁ。
あの時の黒崎先生と今の僕は同じ年なのか・・・。もういい加減お嫁さんになれたかな・・・。
そのときに書いていた文章が後に「Let me go」という曲になりました。
●質問3:得意だった科目は?
音楽・体育・国語・社会・算数
いや、おれは何でもできたからな。(ボクシング亀田風)
学年に1人2人、「いつもオール5」取る子いたでしょ。
おれ、それです。
今は誰も信じないだろうがね・・・。
いやいや、事実だから仕方ない。(笑)
まあ、うちの小学校、長崎大学の附属小学校ってとこで地元No.1の超優秀小学校だったんだけど、その中でも僕は秀でていました。(爆)
はっきり言ってあの頃培った自信がこの僕の「果てしないプラス思考」を作っていると言っても過言ではない。3つ子の魂100までだ。自分をいつまでも「できる人間」だと思い込んでいる。
中学校時の音楽の成績はほとんど9か10でした。(10段階ね。)
10って学年に4、5人しかいないわけですよ。んでうちの中学校もやはり長崎大学の附属中学校っていう超優秀中学校だったから、女の子の中には小さい頃からピアノとか習っていて音楽に関しては相当なプライドを持っている人が多かったわけです。
おしのけていました。
めっちゃ自慢話!!
いや、今自慢できることなんてないからね。過去の栄光をたまには自慢させて下さいよ。(笑)
体育は、僕、こう見えて中高と野球部だったもんでそれなりに何でもできたんですよ。バレーボール以外・・・。
高校2年の時のマラソン大会、学年5位!タイム的に考えて全校5位とも言えました。これはプチ自慢ね。やっぱ1番取らなきゃ。
でも早いんだ、バスケ部は。。。1位はサッカー部主将だったが。あいつはスゴイ男だよ。元気かな。
国語はなぜか漢文に滅法強かった。(笑)
できるんだよ!理屈ではない。あれはできる!!パズルみたいな感じ。
●質問4:では、苦手な科目は?
ってか、このペースで書いたら終わらないな。今日はここまで、前半戦ということで。
苦手な科目は
化学!!
そして
美術!!
前述の通り栄光の小学生時代を過ごした僕が中学生になって初めてぶち当たった壁は「美術」でした。
時代がおれに付いて来ていなかった!!
あいつらにおれの絵心がわかってたまるかよっ。(涙)
化学は高校の時苦手だった、って言うか捨てた。
高1、高2のときの先生の教え方が悪すぎた。この1言に尽きます。
高3のときの先生は良かったっぽいけど、すでにセンターを物理で受けることに決めていた僕は化学の時間は鈴鳴らしたり、自分のをとった油取り紙を他人に回したりして遊んでました。
ごめんね、けんぞー先生。
ってか、おれ理系だったんだよ!!
センターが終わるまで。
国語が異常に得意だったおかげで浪人せずにすみました。日本語が「国語」でよかったです。ありがとう小泉首相。
そして、そんな「大学に現役で行くためだけ」に選んだ経済学科の大学院にまで行くことになろうとはあのとき誰が予想しただろうかは。(いやしない。反語)
そのうち続き書きまっす。