幾つか問い合わせがあったので、前回のブログの解釈を。
つまりは「全てを成し遂げて、全てを手に入れて終える人生よりも、手に入れることの出来なかった夢や名誉や恋愛などが幾つかある人生の方が、人生として豊かなのではないだろうか」ということです。
そう、ここで言う「余り」とは≒「後悔」や「無念」という意味です。
100パーセントおなかいっぱいになると何も食べたくなる。
でも腹8分目で終わらせると、もうちょい食べたいななんて思いながらも、ある程度の幸せを得ることができます。
そんな気もちです。
でもアドベンチャーな人生であって欲しいなという想いもあるので「映画の予告編のような人生」と言ってみました☆
以前、とあるマイミクさんとブログ上で語り合い、こんなことを強く思うようになったのです^−^
どうしても手に入らないものってあるよね、人生には。
僕らはそれを受け入れなくてはいけない。
でも、それは忘れなくてもいい。
「ああ、あれ欲しかったな」なんて時々思い出して胸を熱くさせながら生きていけばいいのでは。
それはそれで素敵です。
ほら、ドラクエとかクリアしちゃうと何か寂しくなるじゃんね。
ドラマの最終回が終わった瞬間とかも然り。
「続きが気になる人生」でありたいね。
で、なぜ、急にこんなことを書き綴ったのか
ここからは普段のブログ風に・・・。
いやいや、日曜日に寒くておなか空いてたから、コーンポタージュを飲みたくなった。
コーンポタージュという飲み物は素晴らしい。
体を温め、なおかつおなかも満たせるくせに自動販売機に売っているのだ。
手ごろだ。
僕は浮かれ気分でコーンポタージュを購入した。ちょっと大きめの250mlだ。
ちゃんと缶を振って、空けて飲む僕。
ごくごくごく。
・・・案の定、缶の奥底にへばりつくコーン。
まあ、これはいつものこと。計算内のことだ。
しかし、いつもと違うのは「僕はとてもおなかが空いていた」のでコーンポタージュをチョイスしたということ。
むむむ、何とかしてあれを食べたい。
あれを食べるために僕はこのコーンポタージュの缶を買ったのだ。あれこそが僕の「コーンポタージュ」なのだ!!
出口を自分の口に充てて缶の底をポンポンと叩いてみるが出て来ない。すごい粘着力だ。
仕方なく側面などもポンポンとやって振ってみると落ちて来た!!
しかし出口から出て来ない・・・。ちょっと的が外れたところに落ちたらしい。
むかついて舌を入れる僕。
しかし届かない!
イライライライラ。
そのうち舌も口も痛くなって、疲れてしまって、諦めてしまった。
とても悲しかった。
これが人生かと思った。
せめてこの気持ちを書き残したいと思った・・・。
そのまんまの体験があったんです。(爆)
いや、そんなもんすよ、歌詞が浮かぶときなんて。。。
まんま使うとやたら早口なメロディになりそうなんで、うまくまとめてそのうち発表したいと思います^−^
せっかく書いたし、出来る限りまんまで使いたいけどね。
「西千葉、通り雨」とか、ほとんど思いついて書いたままの歌詞にメロディを付けた曲です。
真夜中に布団の中で、過去の恋愛をふと思い出していてセンチな気分になっていたら、「この今の西千葉での生活は、きっと僕の人生において通り雨のようなものだー」なんて考えに展開して来て、「書きたい!」って思ってガッて起き上がって電気つけて書きなぐったのがあの歌詞です。
まあ、過去の恋愛ってのは「人生の余り」の部分の代表格だよね。
僕はわりとそういう想いを捨てきれずに生きていく種類の人間らしい。
男ってそうなのだろうか。
でも今が一番幸せだし、一番大事。
それとこれとは別ってことです。
その辺理解してもらえるのかなー。
ちなみに「そっと」や「8月の風」は曲から作りました。
「詞」と「曲」、どちらが先って決まっているわけじゃないんだよー。僕の場合。でも曲から作った方が曲としての聞き応えがあるような気がします。