鼻毛問題について

久しぶりに自分のホームページをじっくりと見ていたら、懐かしい論文を見つけた。

僕の「裏・卒論」だ。


当時22歳の若者がここまで無意味なテーマに熱い論文をかけたという事実。


やっぱり僕は天才だったのだと思った。すっかり忘れていた。


2001年9月7日(金)

★その12 「鼻毛問題について」 法経学部経済学科 松尾貴臣

近頃、何かとテレビ等マス・メディアを通じて話題となっている「鼻毛問題」であるが、私たち現代人がいかに鼻毛と共存し、かつ持続可能な将来を構築して行くべきか。先の経済状況の不安も視野に置いた上で、私なりに見解を述べてみたいと思う。

<1.利他行動による鼻毛の役割について>
友情の度合いを示す一つのバロメーターとして「相手の鼻毛が出ていることを指摘できるか。」という命題が存在する。日常の生活において頻繁に垣間見られる友人の鼻毛。それに遭遇した時、私たちは憎悪と困惑の念にかられ、その後の自分がいかなる行動をとるべきかー現実を受け入れ友人に対し、的確に指摘を行うのか。はたまたその事象から目をそむけ、インプットした視覚的データを一切消去してしまうのか。−大別して2つの選択を迫られることとなる。前者と後者、どちらをとるかは「鼻毛」に対する各々のアプローチの課程及び、友人に対する信頼の度合いにより変化するものと考えられる。

そもそも鼻毛とは、鼻腔内に空気中のゴミ等が進入してこようとする行為を阻止するため生殖している体毛のことである。人類の長い歴史の中で、いつしかその本来の目的は忘却の彼方へ追いやられ、現代ではいわゆる「恥毛的効用」の働く体毛の一つとして、ホクロに生えた毛、もしくは乳首の周辺に生えた毛と同様の扱いがなされている。

まず、私たちが偶然友人の鼻毛に遭遇した場合において、いかなる行動をとるべきなのかを考察してみる。
第1に言えることとして、先にも述べたように鼻毛が出ていることを相手に伝達するという行動は「友情の度合い」を示すバロメーターとなりうることである。仮に初対面の相手の鼻の穴より、その恥毛が顔を出していたとしよう。その時すぐさま「失礼ですが、ご立派な鼻毛がひょっと顔をのぞかせていますよ。」などと、いかなる丁寧な言葉を並べてでも指摘できる人間がいるのであろうか。いや、いないだろう。その発言は人が自分の子孫を後世に残そうとする遺伝子に組み込まれた本能により、阻止されてしまうのである。すなわちそのような状況下において人は、ただただそよぐ鼻毛を眺め続け、指摘できない苛立ちを抑え、時間が経過する事を祈り続けるばかりなのである。

しかし、もしも鼻毛を露出している人間が、自分の最も信頼の寄せる人間だったならばどうだろう。指摘することにより相手の自尊心を傷つけてしまうかも知れない。それ以後の交際を断絶されてしまうかも知れない。リスクは常に付きまとう。しかしながらそれと同時に、相手の鼻毛を見た自分には「相手の将来」を知らず知らずの内に託される現状にカミングアウトされてしまうのである。もしその鼻毛が自分以外の第3者によって確認された場合、友人は「鼻毛の人」というミドルネームを一生十字架として背負い生きることになるかも知れないからである。そうなれば、その人には出世コースを辿り高給取りになる未来も、幸せな家庭を築くという夢も、到底手のとどかない非現実的なものとなる。だから、親友と呼べる間柄であるのであれば、迷わずその意を相手に伝え、速やかに除去してもらうことがお互いの絆をより一層深め、より良い関係を構築することにつながっていくのである。(ここで重要なのが互いの鼻毛に対する「アプローチの類似性」である。)確かに怖いかも知れない。大切な何かが音を立てて崩れ去っていくかも知れない。ほんの一握りでいい、自分に勇気という名の媚薬を与えて欲しいと思う瞬間である。同じレベルの理解が介在すれば、事態はきっとよい方向へ向かうであろう。

<2.グローバル社会における鼻毛成長曲線について>
鼻毛。鼻毛と言ってももわずかに飛び出している鼻毛から、明らかに風になびいてその存在を誇示している鼻毛までさまざまである。でも鼻毛であることには何ら変わりは無い。笑った瞬間にピョンっと可愛らしく顔を出す鼻毛だって正真正銘立派な鼻毛だ。

そんな鼻毛と日本の経済史には密接な関係があると言われている。

電器店の店員がまとめたデータによると中年男性の5人に3人は鼻毛を出したまま電化製品を購入しに来るという結果が記録されている。戦後の日本において、高度成長期を支え、バブル期を体験し、その崩壊後「失われた10年」と呼ばれる不況の時期も乗り越えてきた中年たち。失業率も5%を超えて、自殺者も過去最高を記録しているこの世の中であるが、「鼻毛」はその激動の社会が生み出した痛ましい傷跡の象徴なのかも知れない。人間は鼻毛を抜くことさえも忘れるほど危機的状況に追いやられているのではないかという懸念の声もささやかれている。言わば鼻毛は日本経済が生み出した産物と言える。
インフレ率と鼻毛の長さは反比例する。インフレ率が上がれば上がるほど鼻毛は短くなり、下がればその逆の効果が現れる。俗に言う、「鼻毛成長曲線」である。すなわち今日のまれに見るデフレの状況において人々の鼻毛は過去最高の高度成長水準を記録しているのである。さらにそれはもはや日本だけの問題ではなく、その現象は日本よりも先に経済崩壊が懸念されているアメリカやその他先進諸国、また近代急成長を続けているアジア各国においても確認されている。今や鼻毛問題はG7のみならず世界全体へその問題を提起してゆかねばならない。

また日本国内において「鼻毛を受け入れ、共存してゆくべきだ」という声もあがっている。これは問題はきたる高齢社会において、鼻毛を認め、深い理解を示すことでその短所を長所に変えて行こうという政策である。

今や鼻毛問題は何よりも優先的に解決すべき課題と言えるのである。

<3.あとがき>
今回の研究により、予想以上に鼻毛問題は深刻化しているのだなあと痛感した。私は今まで必死に鼻毛の処理に時間を割いてきた。それが少しだけ恥ずかしく思えた。鼻毛との共存。今まで誰もが想像だにし得なかった新しいライフスタイル作りを目指し、日本経済の向上に協力して行きたいと思う。