ハッピーソングスの生みの親


今日、ピーナッツクラブ西千葉の世話役、海保さんと壁の穴でお話をしていて、もしかしたら「ハッピーソングス」という概念を僕に与えてくれたのは、海保さんを含め西千葉の人たちなのではないかと思った。



「ハッピーを全国にお届け!」というテーマでツアーを行っているのだが、そのお届けすべきハッピーは僕が西千葉の人たちからもらったハッピーなのではないかと思った。


もうすぐ68歳になる海保さん。


信じられないくらい熱いおじさんだ。


今年は自身の経営しているデイサービスで「地域通貨とギャンブル(遊び)を取り入れたいんだよ!」と買ったばかりの花札とトランプを見せて嬉しそうに、今年の目標を語ってくれた。(つまり現金をかけたギャンブルではない。)


67歳でまだまだ夢を追うモチベーションと実行力。


尊敬すべき人が西千葉にはたくさんいるなぁと思った。

自分が67歳になったときに、同じように10代20代の若者に夢を語ることができるだろうか。





間違いなく、僕はこの人たち、この街から「ハッピー」をもらっていると思う。





この街で大人になって行けることをとても嬉しく思う。




昨日の海保さんのブログにはこんな嬉しいことを書いてくださっていた。



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夢ってなんだろう。

自分が描く夢は12年後、80歳の時になりたい夢です。

病院のベッドで過ごすアミーゴは「松尾貴臣」作詞作曲のハッピィソングスを、最高に綺麗な音の出るヘッドホーンを耳にして聞きながら、過ぎし人生を楽しみに振り返る。

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うるっと来た。


僕にも12年後はやって来る。




まだ、誰かのために歌い続けている男でありたい。