今日、ふと思った。
げっぷ>おなら?
げっぷ<おなら?
似て非なり。
人はどちらの気体を愛し、どちらの気体を憎むのだろう。
どちらなら許せて、どちらなら許せないのか?
両方か?いずれかか?
Love or Hate!
ひとつの解決の鍵は、その特性にあった。
両者とも体内から放出される気体だが、決定的に違う特性を持っているのである。
そう、げっぷは口から出るのに対し、おならは尻から出るのだ!
どっちが素晴らしい??
どっちが汚らわしい??
考えた。僕は目を閉じ、耳を塞ぎ、真剣に考えた。
口と、尻、どちらとKISSができるだろうかと自問自答を繰り返した。
・・・。
ピラリラリーン!!
口だ!!
僕はまだ尻とキスができるほど成熟してはいない。未完成な人間なのだ。
よくアメリカ人が「おうちに帰って母ちゃんの尻にキスでもしてな」って冗談を言うのを耳にする。俗に言うアメリカンジョークだ。
一見ユニークな発想のこの表現だが、想像してみると、おぞましい光景だ。
言葉は、ときどき、残酷だ。
話を戻そう。
おならは10中8、9クサイが、げっぷはそうではない。
食べたものによってはさわやかな場合すらある。
コーラの後のげっぷなどは甘くて、優しくて、それでいてどこか哀愁があって、初恋の記憶すら呼び起こさせる。
げっぷの中のげっぷである。
でもコーラのあとのおならは危うい。キレが悪い。
コーラに限らない、水分を多く吸収したあとのおならは、余計なものまで出るのではないかと、とてもデンジャラスな気持ちにさせる。人の心を不安にする。
それはまるでロシアンルーレットのように。
この時点でげっぷとおならのどちらが素晴らしいか明白である。
だけど、僕は不完全な人間だ。
ヨーロッパの人はおならよりげっぷを嫌うと、とある人から聞いた。
本当だろうか。
どうしてだろう。
そう言えば、卒業旅行でベルサイユ宮殿に行ったとき、ガイドさんが「昔のフランスの貴族は部屋の隅っこや庭の隅っこで用を足していました。」と言っていた。
垂れ流しだ。
だから香水文化が発達したらしい。くさいのをごまかすために。
なるほど。あれか、水上では優雅な白鳥が、水面下でもがいているって言うあれと同じか。
顔は優雅に下は適当に。
武士は喰わねど、高楊枝。
そこにはおならはいいけど、げっぷはいかんという概念が存在するようだ。
あんたたちにはがっかりだ。
しかしだ、僕は思う。
げっぷはおならとは違うと思う。
同じ土俵で比べられるような平等な気体ではない!
げっぷは口から出るおならではない。
げっぷは憂いを帯びた気体だ。
胃のため息だ!
理性を持った気体なのである。
そして、笑顔という名の雲の隙間から発信される君へのSOSだ!
そう、だからげっぷは悪くない!!
げっぷに罪もない!!
いや、むしろ、
げっぷはいいと思う!!