ジェンダー

東野圭吾の「片想い」という本に出会って以来、相当「ジェンダー」について関心を寄せている。


男と女の違いってなんだろう。

僕は今まで、「ベニスだかテニスだか、はたまたメロスだか、そういう類のものが股間についているのが男性で、ついていないのが女性」だと認識していた。


どうやら、世界はそんな単純には回っていないようだ。


昔からキーボードの相方の在也くんは「ジェンダー」や「フェミニズム」に対して熱い。
僕はそれを横目で見ながらも、実際そんなに興味はなかった。


でも最近は違う。

男と女の違いって「体の作りの違い」だけではないってことに気がついたのだ。


前回のブログで冗談のようにバランス→男と女。と書いたが、実際そう思っていない。貴臣得意のエスプリだ。シニカルでもある。反語でもあったりする。



コインのような「表と裏」ではないのだね。男性と女性は。



東野圭吾の「片想い」の中ではこう表現してあった。



男と女はメビウスの輪のようなもの。



男性と女性はつながっているのだ。

無限のメビウスだ。

どこかで男性と女性がひょっと入れ替わることもありえるのだ。


ただ単純に同じ「人間」なのである。



このメビウスの輪という表現は本当に素晴らしいと思った。ポイントは「心」だ。「体」は偶然与えられた外観に過ぎないのである。ふとした弾みで男性から女性へ、女性から男性へ一瞬で化けることもあるのだ。


そう考えると人には男性の要素と女性の要素が介在していると思う。

必ずしも男性とみなされている僕が「100パーセント男性」というわけではないということだ。

もしかしたら70パーセント男性で30パーセント女性なのかも知れない。比率が強いから僕は自分のことを男性だと信じているのだろう。小さい頃からそう育てられて生きて来たからそう思っているのだろう。


それがヒフティヒフティだったらどうだろう。僕は僕を男だと思うのだろうか。
体的には男だ。だから男だと思うかも知れない。

じゃあ、3:7で心の男女比が逆転したら??


それがメビウスの入れ替わる瞬間だ。今まで表を走っていたはずの自分が、ふっと裏道へと抜けてしまう瞬間だ。


うーむ。



それでも僕は僕だ!!




ジェンダーと言って思いだすのは上戸彩の出ていた金八だね。
あれは熱かった。

あれで世間に一気にジェンダー、ならびに「性同一性障害」って言葉が普及したと思う。

さすが金八。


余談だが上戸彩3年B組金八先生の中で「イエスタデイ、いや、僕は今日からトゥモローだ」と言っていた。

いや、あれ気になって気になって。

えっ!?何それ!?みたいな。(笑)

でもいっぱい泣いたなー、あの金八。ちょっとエグかった、全体的に。その前のケンちゃんの回も嫌いじゃなかったが、ケンちゃんみたいなひょろひょろの子が番長的なのが納得できなかった。



・・・熱く語ってしまった。(笑)


何を言いたいかと言えば、最近人の脳って男性の部分と女性の部分が介在していると思っているんですよ。


僕の脳はまさに7:3で男!!そう思っている。(笑)

どう考えても10:0ではありません。

でもV6の岡田くんより綾瀬はるか(愛娘、臣子の将来像)の方がラブなのでやっぱり男寄りなのだと思う。


さて皆さんは?